快適な暮らしに電気は不可欠。有限会社飛沢電工は、昭島市を中心に東京都の大型店舗や住宅の照明・電力設備・電気土木・弱電工事などを行っています。お話を伺ったのは3代目代表取締役 飛沢祐二さん。一度会ったら忘れられないオレンジカラーのヘアスタイルで、明るく語ってくださいました。
企業情報:有限会社 飛沢電工
事業概要:電気設備工事・電気土木工事・弱電工事
住 所:昭島市
代表取締役:飛沢 祐二
安全を最優先に、電力設備の供給を保障
昭和46年創業。電気工事業会社として地域に密着した事業を展開。
飛沢電工では安全性と高い技術力を兼ね備えた職人たちが長年、昭島市を中心に“電気の便利屋さん”として活躍しています。
仕事の内容は主に4つです。
・照明設備工事
一軒家から大型店舗まで照明提供の設備を実施。建物を完成するまでに欠かせない工事の一つであり、LEDや蛍光灯の変更・改修などを行います。施照明機器、配線やスイッチ制御装置、取り付け、電気工事、点検、保守など様々な業務に携わります。
・電力設備工事
主に電力供給の確保。建物で電気を使えるよう配電盤や配線、変圧器、発電機の設置や接続が含まれます。設計・施工・保守まで一貫して行い、電力に適切な供給を保障し、電気システムの構築を図ります。
・電気土木工事
電気インフラの整備に関する土木工学の一環。電線や通信ケーブルの埋設。電柱の設置や変電設置の建設を含みます。地域の電力、通信網を構築・維持し公共施設や住宅に電気サービスを提供します。
・その他、電気工事(弱電工事)
電話やインターネット、テレビなど通信や情報伝達に用いられる低電力の設備工事。L A N設備や防犯カメラ、音響機器なども配線・設置を担当しています。データ通信や安全保障に欠かせない仕事です。 「ありがたいことに、弊社は皆様もご存じの大手企業から大型案件を受注させてもらっています。弊社は勤続10年を超える技術者が多く、皆頼もしい存在です。新しい現場が決まるとその都度、社員一人ひとりの技術や特技、スキルを見て適材適所の場所に送っています」と飛沢さん。
資格取得で様々なニーズに応える技術者へ
働く上で何より大切なのは安全性。事故なく、完璧な仕事をこなすには高い技術とノウハウが必須です。
大手ゼネコンからの受注では有資格者でないと入れない現場も多く、入社後は仕事を覚えるのと同時に資格取得に励むそうです。
「大手取引先の企業様などで、講習会を随時開催してくださっています。おかげさまで弊社の社員たちは積極的に参加する機会をいただいています。資格取得に関する費用は負担しますので、ぜひ頑張ってほしいですね」
建物の用途や特性によって特殊な技術が必要なため、資格取得することで、入れる現場の種類が幅広くなります。
「飛沢さんのところは動きが速いよね」とお客様から言われるのは、豊富な技術があるから。万が一のことが起きた時には昼夜問わず駆けつけるのが飛沢電工です。
義理堅い先代社長・父親の生き様で会社を存続
有限会社飛沢電工の先代は、飛沢定良さん。飛沢さんのお父様です。
元々は戦後の立川基地で働き、基地の縮小に伴い、職業訓練校で電気の勉強を始めます。そこで出会った同期を数人集めて起業。その後、徐々に社員は独立しました。
最後に残った社員が、後の2代目社長 藤田博さん。かわいがっていた弟分の藤田さんと法人化することを決意し、現在の有限会社飛沢電工に社名を変更。ところが、創業10周年の時にさだよしさんは脳溢血で倒れて他界してしまいます。
当時、飛沢さんは15歳。会社経営は、突如難しい状況に立たされます。葬式後はお世話になった人たちを呼び食事会を行いました。そこで飛沢電工の解散宣言をするはずが……。
「母親は会社を閉じるしかないと思っていたのですが、そこに集まった人たちが、“奥さん頑張りましょう!”と立ち上がりました。なんと、解散するどころかその場で決起集会になってしまったんです。息子の私が言うのも変ですが、父親はとても義理堅い、人情の熱い人間で、周りから愛されていたのだと思います」
結果、社名もそのままで、残された社員で会社の運営は継続。2代目社長には当時30代の藤田さんが指名され、令和元年で飛沢さんが3代目代表に就任しました。
3代目は飲食業から電気工事業へ
中学3年生の夏に、先代であり父親が亡くなってしまった飛沢さん。当時の心境は複雑でした。
「塾の帰りに病院に寄って父親に顔を見せていましたが、いつも憎まれ口を叩いていて、 “俺は電気屋にはならねえ、サラリーマンになる!”とか言いながら最後まで喧嘩していましたね。高校卒業後は、海外に支店を持っている飲食店に就職しました」 当時はアメリカに行きたいと憧れて、串揚の有名店で働きます。お客さんとの接客でコミュニケーションスキルを上げ、20代では飲食業界の厳しさと楽しさを学びましたが腰痛がひどくなり退職。その後はゴルフ会員の営業などを経験し、バブル崩壊と共に職が無くなりました。
その頃、母親から勧められて、仕方なくアルバイトで入った家業の飛沢電工。ところが、周囲からは「跡取り息子が戻ってきた!」と喜ばれます。
最初は戸惑っていた飛沢さんもまた、徐々に父親と同じ職種に興味が湧き始めました。他の社員と同じように資格を取得しながら腰を据え、初めて「電気設備とはなにか」と向き合います。
「これも修行だと思って、自分から別の企業の現場に出たいと手を挙げました。そこで、スーパーマンみたいな職人さんに出会いました。厳しい人だったけど、何でも知っていて、わからないことは電気設備の専門カタログを開いて徹底して調べている人でした。私にも“カタログを抱いて寝ろ”と言うほど。その人の下で働きたいと思って、毎日怒られてもそばにいましたね」
あちこちの現場に入り、技術を学ぶ飛沢さん。熱心になればなるほど、自分の会社に疑問を持つようになります。現場から戻ると「今の技術では古すぎる、現代の電気設備はこうだ」と訴えて、社員同士でぶつかることも多かったそうです。 「今、振り返ればいろんな現場に出してもらえたことに感謝です。あの頃は随分ハッタリをかましました」と懐かしそうに笑う飛沢さん。今では、社員だけでなく建設業界で関わるたくさんの人たちに頼られ、相談される立場になりました。
社員は仕事だけでなく、家族の時間も大切にしてほしい
建設業界といえば、休みなし。残業ばかりで、ブラックなイメージを持たれやすいですが、飛沢さんは進んで休みの希望を出して、家族や自分の時間を大切にしてほしいと話します。
「私が父親に家業を継がないと反発した理由の一つが、家族と過ごす時間がないと言うことでした。家庭を持ってからは子どもの行事には先陣を切って休みを取っていましたね。誰かがやらないと、後に続く人が休みを取れないですから」
飛沢さん自身が、過去に飲食業で休みが取れず、仲間からの誘いがあっても断ることが続き、自然と人間関係が途絶えていってしまう時期もありました。
飛沢電工でも、当時は「子どもの行事で休むのか?!」と怪訝な顔をされることも。今では少しずつ改善し、社員が休みを取得したいといえばなるべく希望に添えるよう調整するように変わりました。
また、独立したい社員がいれば後押しするとのこと。一般的に、一人前の職人になれるのは入社して5年ほど時間がかかりますが、タイミングは人それぞれ。
実際に2023年の春に若くして、独立した人もいます。
「弊社に10代で入った社員Aくんがいました。当時の彼はやんちゃで、休みがちでした。すぐに辞めるかと思っていましたが、資格を取るようになってから態度が激変。第二種電気工事士の勉強をするため、机に向かう姿を見たご両親が涙するくらい成長していきました」
今では結婚をして、家も建て順風満帆な生活を送っているA さん。真摯に仕事に打ち込み、真面目な性格で、もちろん休むことも無くなりました。給料も一般の20代より稼ぐようになり、周りからも羨ましがられる社員になったそうです。
目覚ましい成長ぶりに驚かされ、結婚式では乾杯の音頭を取った飛沢さん。独立した後も、気にかけています。今でも飛沢電工の仕事を手伝い、共に切磋琢磨する関係性を築いているそうです。
現在、社員の年齢層は20代〜50代。平均年齢40歳とまだまだ働き盛り。今後も一緒に事業を展開していく未来のエキスパートを募集しています。
「電力設備のこと何も知らない人でも、恐がらず勇気を出して飛び込んできてください。社員も年齢が幅広い方がより良い経営ができると思います。技術を磨けばお給料の跳ね返りも期待できます、一緒にやっていきましょう」